沖田畷の戦い・豊後進攻に向けての謀略戦|島津家久の実像の講座受講 第四回目

島津家久講座風景
島津家久講座風景

先日の台風8号はかなりの強風でした。貸店舗の看板が折れてどう対応しようか見積もりを依頼して思案中です。築古の不動産投資は台風ヒヤヒヤものですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

本日は囲碁の試合があり、二転三転?ありなんとか勝利。検討していたら、おそくなってやばい講座に遅れるぅとぶっ飛ばして行ったら、30分間違えて早く到着したヨネです。

お盆前後だったからか、前回よりやや受講生が減ってましたが、それでもかなりの人数でした。

前回講座

前回、家久が京都から帰国(天正3年1975年7月20日)してから、島津方が高城合戦などを経て伊東氏をやっつけたり、大友氏が戻っていったりして、家久が佐土原城主になって、肥後に進攻していって、家久が取次した有馬鎮貴(のちの晴信)からの救援がきまり島原へGO。

今回の講座

今回は、天正12年(1584年)に、家久としては想定外に島原にしまってきていた龍造寺隆信との沖田畷の戦いからスタート。それからの、秀吉が停戦を命じた惣無事令がでたけど、豊後(大友宗麟)を攻めようぜとなったところまでした。。

毎度の新名一仁先生の軽快な語り口で、楽しく聞き入ってました。島津家の有力家臣の名前も、何回も何回も耳にはいってきているので、登場回数でだれが有力が感覚的にわかってきて、昔と違った感覚で楽しめました。こまかい上下関係はぜんぜんですが(汗)

戸次道雪って読めます?今日読めるような感じになってきました。「べっきどうせつ」って読むんですって!戸次とみると、センゴクが失態した「戸次川の戦い」(へつぎがわ?)を思い出し、親近感があります(笑)

また、毎度地図を見ながらお話を聞けるので、勢力図や各武将の位置関係や、古文書のやりとりがどこに居る人と家久のやりとりなのかなどとてもイメージしやすかったです。

次回が最終回。ということで、家久が若くして亡くなるとこまでのようです。上井覚兼日記講座の終わりあたりとだいたい一緒でしょうか。楽しみにしているところです。

Googleで武将の死を検索した結果
Googleで武将の死を検索した結果

「島津家久の死」とかで検索すると、Google神はピンポイントで亡くなった日付を教えてくれるようです。Google神は偉大ですな。また、今年話題の島津義弘の亡くなった日ぽい日付「1619年8月30日」も表示されていました。あと3週間弱ですね。島津義弘関連で全然遊べていないので、今年どこかで訪問したりイベントに参加したりなどしてみたいものです。

個人的なメモ

  • 沖田畷の戦いに、龍造寺隆信は、次男・三男・四男は連れていっていたけど、長男は城に残して出陣したとか。やはり万が一でも血が絶えないようにしているのだろう。
  • 高校の日本史にもでてきた、ルイス・フロイスの書物?(イエズス会会長宛1584年の日本年報)で沖田畷の戦いの情報がいろいろ読み取れているのがおもしろい。有馬方贔屓はあるようだが、大まかには正しいものだろう。
  • 信長が鉄砲を使った長篠の戦いから10年くらいたっていそうだが、まだまだ弓が多かったようだ。(家久軍だけ?)
  • 龍造寺隆信の外観イメージまったくなかったが、新名先生の説明や、籠に乗って沖田畷の戦いに挑んでいるのだだいたいイメージできてきた。
  • ルイス・フロイスの島津への評価がおもしろかった。
  • むかし高鍋藩で「秋月氏」と断片的に聞いていた、筑前国衆「秋月種実」がでてきた。島津氏に起請文を提出したり、近い関係だったようだ。
  • 善哉坊って今まで何回もでてきているのでなんとなく覚えてきた(笑)宮崎県国富町のお坊さんで使者として活躍したようだ。あちこち走り回って、足腰が丈夫で、運動神経がよい人だったんでしょうな。
  • 幕下(ばっか)とは配下という意味のようだ。
  • このへんの話で山中とか山内といったら、耳川上流域の山の中のことのようだ。家久は豊後攻めの前は、山中を調略したり、情報源にしたり、謀略を実行したりと前のめりだったようだ。
  • 前のめりの家久を、某事件で義久から蟄居を命じられたようだ。それを解いてもらうためか、謀略がずんずん進んでいったようだ。家久の家臣も、殿のために太守義久を騙すような行為を実行していくとは、家久と家臣の間の絆が固いようだ。
  • 大友宗麟は大阪まで出向き秀吉と面会して、救援をもとめたようだ。ある意味かっこ悪いが、その(営業?)努力で豊後を治め続けることができたのだろうか。
  • 豊後攻めの方針は決まっているが、義久は季節や鬮(クジ)を理由に延期していったようだ。
  • 書状で、本文を書いてから、文書を書き加える(追伸みたいな?)時に、本文の行と行の間に書き込むとか、意味がわからない。紙を2枚にしたらいけないのだろうか?しかし、当時の事情があるのだろう。

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