続「上井覚兼日記」を読もう講座 第4回参加

上井覚兼日記を読もう講座

アマゾンプライムで「殿、利息でござる」を見て、笑いあり涙ありで満足した週末ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか?「超高速!参勤交代」なり、最近の時代ものは俳優さんが固定されているものなのだなぁとか、磯田先生出演してるなぁとか思ってました。次段落はネタバレですが・・・

江戸時代に入って150年くらい入った17世紀中旬、宮城県の吉岡宿(黒川郡大和町)が舞台の作品で、磯田先生の「無私の日本人」が原作。で、作品中にでてくる酒蔵の穀田屋の子孫の酒屋がいまもあるとか。すげーということで、googleマップにチェック入れたりしてました。

そんな時代の約200年前の天正14年(1586年)の上井覚兼日記を読もう講座へ行ってきました。今回は、天正十四年(1986年)4月、5月、6月前半の日記の解説。今回も満足まんぞく。あっというまの1時間半。残すところあと2回となりました。興味がありまだ一度も参加されてない方は、途中からでもぜんぜん問題ないのでぜひぜひ^^

天正十四年(1586年)4月、5月、6月前半の雑感

  • 日記の何が面白いのかなぁと考えた時に、「当時の酒飲んだり囲碁将棋したりの日常が身近に感じれる」「(知った地名がでるので)宮崎の当時の状況をすんなりなぞる事ができる」「覚兼視点で薩摩藩の空気が感じ取れる」あたりかなぁ。
  • 全体的に雨が多い。一部台風ぽい記述あり。同じ時期の国内外の日記や資料を照らし合わせれば、台風かどうか限定できそうな気がする。
  • あいかわらず酒宴多し。囲碁、将棋も散見される。
  • 古い航空写真でより当時に近い地形を新名先生が準備されていたのでとてもイメージしやすい。不動産の仕事でもポツポツ古い航空写真は利用している。
  • 太平記、源氏物語、(琵琶法師の?)平家物語、などもお馴染みの話(読んだことないけどw)の記述がでてきた。日本人の定番のようだ。
  • 「穂村」という地名初めてきいた。塩路とか山崎町あたりの海沿いのようだ。あのあたりは、四国からきた人が開拓したような話を聞いたことがあるが、すでにきたあとなのだろう。いつごろ四国から渡ってこられたのかな。その穂村の偉い人は「瀬戸山大蔵丞」という名だから、瀬戸内海の瀬戸から渡ってきた人だろうかと勝手に想像してみた。
  • 堺樽(4月14日)とか京樽(5月18日)とか美味しいであろう日本酒?を頂いている。
  • 前回から引き続き、豊後(大友宗麟)を攻める流れが神慮・ご託宣・鬮(実際は島津忠平(義弘)その他重臣の意向か)固まっていっている。
  • 5月22日。以前、惣無事(秀吉からの停戦指示)について秀吉に回答に行っていた、鎌田正広が戻ってきて話を聞いている。その中で、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)、堀久太郎(堀秀政)、佐々成政(佐々内蔵助)、小早川隆景、細川幽斎とかゲームや漫画で聞いたことある名のある武将が列挙されていた。
  • 4月27日。前回もでてきた近衛信伊(ご家門様)から普請の催促きている。戦国時代も明治維新でもでてくる島津家と近衛家だから、江戸時代ずっと関係が続いていたんでしょうな。ずっとお金上げてたんかね(?)さくっとググってみたら、「島津家と近衛家ー京都から薩摩への文化伝承ー 尚古集成館館長田村省三(PDF)」なる同志社大学関係ドメインのPDFを発見後日読んでみよう。ちょっと目についたのは近衛信伊は文禄3年(1594年)から慶長元年(1596年)に秀吉の怒りを受け鹿児島に流されているとか。
  • 5月5日。端午の節句でお祝いしてる。
  • 5月12日。痔病に治療?に蛭を使ったとか焦る。
  • 5月18日。ポツポツ日記にでてくる、イザコザ発生。今回は、和知川原に入る船を赤江(曽井配下?)で、公役(通行料)を求められ足止めい、曽井の地頭に説明を求めた。地元同士のつばぜり合いか(?)。城ヶ崎あたりに港があったと聞いたことあるから、赤江湊はあのあたりだろう。
  • 6月9日。攻める日程調整で、7月17日は「年日」と記述あり。生まれた干支と日の干支が重なる日のようだ。この時は年日は日が悪い表現。上井覚兼は巳の年生まれで、この日は巳の日とか(?)ということで、7月16日に決定。といっても、出陣準備で時間が間に合わないので、とりあえず、「調伏の矢」を放つようだ。その日に、念の入った矢が豊後に向けて放たれるのかな。不動産の仕事していると、引っ越した事にするために、鍋だけ部屋に入れさせてという相談をたまに相談があるのを思い出した。
  • 6月中旬。豊後攻めの戦略や担当が次々決まっていっている。
  • 6月15日。宮崎の各地から地頭がきて、豊後への出陣の計画が説明されている。
  • 大事なご託宣が小林市堤にあるとされる今宮八幡宮から出されていて、この宮がどこにあるかわかっていないとのこと。小林市行ったときに探してみたいものだ。堤には「八幡原」なる小字があるようだ。また、氏神様の形でどなたかの敷地内に祀られている可能性もあるとか。

天地に燦たり

新名先生から、「天地に燦たり」なる歴史小説の紹介があった。島津家の家臣「樺山久高」が主人公だとか。ちょうど現在の講座の年代天正14年7月からスタートするとか。次の講座までに読んでみたいものです。

というわけで来月の講座も楽しみにしてます\(^o^)/ アディオス(^_^)/~