続「上井覚兼日記」を読もう講座 第2回参加
昨日はamazonプライムで「のぼうの城」を見ながら、googleマップを開きながら忍城の場所、石田三成が陣を張った古墳、囲んだ石田堤跡を確認しながらと、今風な感じで動画鑑賞している日本史入門中のヨネです。
今日は宮崎城で活躍してた島津家の武将「上井覚兼」の日記に関する講座に行ってきました。
豊臣秀吉好き(徳川家康が・・・)な嫁に講座でももうすぐ秀吉が九州にくるんじゃないかと声をかけ、嫁は初めて参加。大変楽しくあっと言う間の90分でした。新名さんは本を書く先生という嫁の印象だったからか、話し方が慣れていて話が上手な先生と感じたようです。私もとても聞きやすいと思います。最後に秀吉からの惣無事令が島津へ届いたネタがあったので嫁も十分満足してくれてたんじゃないかと思います。
今回は天正13年(1585年)11月12月の日記の解説。上井覚兼は41歳くらいの頃。
所感を乱筆してみました。
- 酒飲んだり、鉄砲で鳥や鹿を撃ったり、風呂入ったりとマメに記録している。
- 鵜戸神宮あたりの日南海岸まで足を伸ばしている。お馴染みの宮崎の地名や寺神社がたくさんでてきてイメージしやすいし親近感がある。
- 島津家久周辺のバレルような嘘で大友氏への攻撃の策略。島津家の何のメリットを考え動いていたのか?龍造寺氏とかを昨年撃って、勝つ自信があるからそうしてだけなのか?
- 昔は「香聞」なる香を嗅ぎ分ける競技があったようだ。おもしろそう。(11月24日)
- 「碁・将棋」が登場していて嬉しい。(11月25日)
- 茶の道具や茶室の話題が出てくる。
- 寝返りするにも一定の手続きがあるようだ。
- 知福川の河口の湊(港)は島津忠平(後の島津義弘)の管轄という感覚はイメージできなかった。(11月20日)
- 船おろし(進水式?)のとき、根来法師が海江田(加江田?)に居合わせていたくだりで、秀吉が紀伊の根来衆や雑賀衆を征伐した後だけに、秀吉と敵対するであろう日向に根来法師がきそうな背景は面白い。(12月11日12日)
- 加江田周辺の「円福寺」の記述があるが場所が不明とのこと。誰か知らん?(11月3日)
- 野島の白神大明神(野島神社?)に当時古い松の記述あり。今もある?(11月16日)
島津四兄弟の九州統一戦
では第五章「筑後・筑前・豊後への進行と豊臣政権との対立」以降に関連してくる講座でした。
次回の講座では、羽柴秀吉から惣無事令が届くは、豊後大友氏へ攻める雰囲気になってきてるはで島津義久が葛藤するなかでの上井覚兼の動きとなることでしょう!?楽しみにしてます。
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