続「上井覚兼日記」を読もう講座 第3回参加

上井覚金日記を読もう講座
上井覚金日記を読もう講座

除湿機がウーと唸っていて一旦気になり始めると気になってしょうがないエセ日本史ファンのヨネです。もうすぐ夏至を迎えようしている梅雨の時期皆さんいかがお過ごしでしょうか?

先月に引き続き今月も、新名一仁先生の続「上井覚兼日記」を読もう講座へ参加してきました。前回の第2回に増して、受講者が多かった気がしています。今回も楽しかったです。もうちょっと長くても集中力は途切れなさそうです^^

今回は天正14年(1586年)正月(1月)から3月で、上井覚兼は42歳のようです。

ざっくり出来事や雑感を。講座後に、現代語訳されている配布資料を正月から読みなおしたら、正月だけで本日はお腹いっぱい(笑)とりあえず正月のみおさらいしてみました。

天正十四年(1986年)正月の出来事や個人的雑感

  • 当時の正月の雰囲気がわかった。現代とそうかわらなそうな祝宴ムード。てかどうも日本史的当時の言葉の使い方(?)では一月という表現はなく「正月」という表現のみっぽい。てか、学術的には漢数字しか使わないのかな(?)
  • イベント毎に結構、席次をわざわざ日記に書いているから上下関係をメモしておいたのだろうか。
  • トップ義久の考えより、重臣の談合の結果が重要な感覚だという。クジ(鬮)の結果は神様?の結果なのでそれより重視という考えて良いのかな。
  • 書状には副状なるものがつくものだという。秀吉からの書状に細川幽斎や千宗易(千利休)の副状がついて届くとか(1月23日)
  • 疱瘡(天然痘)の家久と(いやいや?)会ってるが、伝染する可能性があるのはみんな知ってた上で会ってるのだろうか。
  • 賞翫と何回もでてくるが意味合いのイメージがまだわかない。
  • 1月8日。前日から談合始めとあるので1月7日から談合スタート。豊後(大友氏)への軍事作戦が第一。毎日まいにち何を話し合っているというのか・・・会議資料とかないだろうから、各武将の情報を伝え合うだけでも1日中かかったのだろうか・・・1月19日笑止(遺憾)との上意。で、1月20日に両殿(義久・忠平)が談合の経過を聞いている。トップがいたら話合いし辛そうだが、10日以上たって痺れをきらしてやってきたのだろうか。
  • 1月13日。姫がお酌で、瓶ビールでお酌するわけじゃなく、瓶子って小さいだろうか3歳の姫でもお酌は十分できると思われる。
  • 1月20日。「南蛮酒を下賜」とあり。どんな酒なのだろうか興味津々。覚兼は酒はよく飲んでるが、味についての批評はしていないのだろうか。てか、酒宴してからの談合って・・・そんでもて、また南蛮酒(笑)
  • 1月21日。鶴を包丁(料理)したとか!義久の御前とあるので、当時でも貴重な事なのだろう。
  • 1月22日。でた!鬮(クジ)。1月21日には談合の記述がなくお疲れさんムードで、20日に珍しいであろう南蛮酒を殿がもってきているので、1月20日に両殿が談合にきてるので、そこでクジしようとなんたのか。クジといっても、「肥後口と日向口の両方から豊後に攻める案」と「日向口に軍勢を集結させ一方から攻める案」の2択。談合で攻めるのは決めてたけど戦略で意見がまとまらなかっただけなのかもかも。
  • 1月23日。「月待ち」なる初めて聞く単語。ぐぐったら、へーって感じ。面白し。
  • 1月28日。「風呂を焼いて入った」との事なので、たまにゆっくり湯船(あるの?)に入ったのかな。
  • 1月29日。疱瘡(天然痘)にかかっている中書(家久)訪問して酒とか・・・移らなきゃいいが・・・(天然痘の潜伏期間は2週間前後とか)

正月ぽい事

正月っぽい事をピックアップしてみました。

  • 元日、「奈古八幡(奈古神社?)へ社参」と初詣(初詣とは書いてないが)してる。んで、「奉弊」は儀式そのものか、銭百疋とかのお供えのことか。googleマップで奈古神社が宮崎城すぐ近くにあった。
  • 「発句」。575で歌読んでる。
  • 「三献」が何回もでてきて、お屠蘇かと思って帰ったが、ググってみると結構、結構違う儀式的なもののようだ。
  • 「鎧着始め」。さすが武将、年始にやるようだ。
  • 「包丁」(料理)をしにきてくれる。鯛使うなり鯛に関する儀式的な何か。
  • 「慶賀」が舞か何か芸能行事みたいな事をしに来る。
  • 「酒宴」を開く。家臣が酒肴を持参してくる。酒を持参して挨拶いったり。
  • 「吉書始め」。形式的な文言を(書いたり?)読み上げたりする儀式のようだ。書き初めの原型?。1月2日に自宅でやって1月11日に鹿児島へ出仕したときにやってる。
  • 1月3日頃に上司(中書公、家久)へ参上(ご挨拶かな)。天然痘にかかっている家久に会うの遠慮してたけどしょうがなく会っている。
  • 「肩衣(袴)」姿での酒宴とか。
  • 「能」。正月だからか1月10日に御両殿(義久・忠平)ところで、高砂、田村、二人静、盛久、鞍馬天狗。式三番や狂言というワードも出てきた。
  • 「銭百疋」を拝領したり送ったり。お年玉的な儀式か(?)ボーナス的性質か(?)両方かな。
  • 「具足餅」。正月11日に食べて祝賀ということで、今の鏡開きあるんだね。覚兼は、1月12日鎧の餅を頂いている。

単語が聞き慣れてきた

まぁ、基本知識がないままあれこれ日本史面白いなと思い初めて間もないのですが、日本史面白がっていると、初めて聞く名詞や地名などいろいろ聞き慣れない単語に接します。現代語訳を理解するのも始めはなかなかでしたが、最近少しづつ聞き慣れて、頭に入りやすくなってきました。

  • 中書公(佐土原)→島津家久
  • 武庫様(飯野)→島津忠平→島津義弘
  • 太守様(鹿児島)→島津義久
  • 金吾公→島津歳久

「島津四兄弟の九州統一戦」を読んでいる時は、筑前・筑後・肥前・肥後・豊前・豊後くらいだけ頭に入れて流し読みしたものです。

最近分かってきた地名は次の感じ。もともと宮崎の地名は把握しているので日記を読みやすい。

  • 懸→延岡。
  • 高知尾→高千穂

島津四兄弟の九州統一戦

今回の第3回講座は、一次資料をもとに整理された「島津四兄弟の九州統一戦」では、193ページ「豊後攻めの決定」あたりから203ぺーいあたりのようです。講座後改めて読み直してみました。

最後に

正月だけでお腹いっぱいになったので、また気が向いたら、天正十四年の二月三月を読み直してみたいと思います。

来月の講座も楽しみなヨネでした\(^o^)/ アディオス(^_^)/~