日向国山東河南の攻防(室町時代の伊東氏と島津氏)

日向国山東河南の攻防
日向国山東河南の攻防

今年の長梅雨が終わり、一気に猛暑となってますね・・・私はエアコンの影響で肩こりに悩んでおりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?日本史初心者のヨネです(汗)

そんなこんなで、日本史レベルがほんのりはアップしただろうと思い新名一仁先生著書「日向国山東河南の攻防」を注文。書籍が到着しました\(^o^)/

「はじめに」だけ読んだところ、山東は鰐塚山から東で、河南は大淀川から南で、伊東氏と島津氏の室町時代あたりを中心とした攻防のようですね。ん、ってことは、職場であり学生時代育った大淀地域あたりも山東河南じゃね?ということで、大淀中学校卒業生としては、読むのが楽しみです。

ぱらぱら見ても、近くの曽井城(野崎病院)とか、高岡町の山売ってくれって言われて見に行ったすぐ近くの島津久豊の墓とか見慣れたものがいろいろ登場しているようです!ワクワク。

また、不動産関係という仕事柄、土地境界の下調べをすることがあるのですが、宮崎市大字恒久宮崎市京塚町に接する土地の売買取引で、字境でわけわからん土地があり、近所の人と話をしていたら「藩境だからねー」とか言っていたのを思い出した。大字恒久が飫肥藩(伊東氏)で、京塚町が薩摩藩(島津氏)なんかな?

あれ、そういえば宮崎市源藤町の交差点の両国橋なんかが両国だけに、どこかとどこかの国境の話が歴史講座であったような事を思い出した。延岡藩領源藤というような情報もあるな・・・・とすると、どうなるんだ(笑)

宮崎市系の資料で「中央南地域の文化遺産(大淀・大塚・大塚台・生目台地域自治区関内)」なる資料を発見。その中に、「両国橋」と説明がありました。『八重川を挟んで北が延岡藩、南が飫肥藩と分かれていたため、両国橋と名付けられたと伝えられています。』とのこと。てことは、八重川を挟んで北が大字恒久なので、大字恒久が延岡藩か?それだと、延岡藩領源藤とは矛盾する。

まぁ、年代毎に藩境は変わったんでしょうな。みたいな結論で(笑)

宮崎市大字恒久
宮崎市大字恒久

また、宮崎市大字恒久といっても、小字がないとまったくどのへんか想像できないくらいめっちゃ広い。「コープみやざき薫る坂店」の東隣の「鳥ノ巣池」も大字恒久だし、「コープみやざき赤江店」も大字恒久といった具合だ。直線で約3kmあるようだ。区画整理とかされていなくて、違う町名になっていないのだろうか(?)歪な形をしている理由歴史的背景があるのだろう。

てか、おそらく田んぼに水を引き込む溜池と田んぼの範囲によって、いろいろ何かが(何が?w)決まっているような匂いがする(笑)このあたりは今後の調べてみたいものだ。

地名にみる原風景 宮崎市街字町名誌(田代学先生著)
地名にみる原風景 宮崎市街字町名誌(田代学先生著)

ということで、地名で思い出したのが数年前に新名先生の紹介で購入した「地名にみる原風景 宮崎市街字町名誌(田代学先生著)」である。大字恒久を調べようと、見てみたが・・・・んーーーー、大字恒久にほとんど言及されてなくね?

なんとか大字恒久の小字の一つである「働馬寄」(どうめき)を118ページで発見。大坪町の小字一覧で紹介されているし、「厳密には恒久の字であるが大坪町に隣接しておりここで取り上げたい」とあるので、大字恒久の字の紹介は無い可能性が非常に高い!

「大字恒久」誰か調べてくれんかね?(笑)時間見つけて気が向いたら調べてみます(笑)

ということで、本題とずれてきたが、鰐塚山から東で大淀川から南に住んでいる人は特にこの本を読んでみることをオススメして閉めたいと思います。ちなみに、下のAmazonから購入していただくと、何十円分かのチャリンという音が私の耳元にすると思うので、お布施と思って下から購入していただけると幸いです(笑)アディオス(^_^)/~

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