島津久豊って知ってる?|島津久豊の墓 in 宮崎市高岡町

2018-05-23

表の道路から見える看板

たまたま島津関連史跡が見っけ

2018年3月某日、不動産屋さんとして売地のご相談で宮崎市高岡町へ訪問。すぐ近くに宮崎市指定史跡「島津久豊の墓」なる標識が!エセ日本史ファンとしてはなんか聞いた事ある島津氏だなとせっかくなので訪問しました。まだ、国指定史跡の穆佐城すら行ってないのに・・・

結果としては、私が聞いた事ある方は「島津豊久」であって、「島津久豊」とは別人でした。島津豊久は年末読んだ島津4兄弟の一人「島津家久」の子で関ヶ原の戦いで島津義弘の殿をつとめて討ち死にを果たしたという戦国時代の武将。こちらのお墓は「島津久豊」と久と豊の入れ違い。

島津久豊の墓の解説

島津氏第8代当主

島津久豊は史跡の掲示物(宮崎市教育委員会)によると、「島津氏第8代当主で、応永10年(1403年)に穆佐城に入り・・・」とあり、1400年ちょいの時代の島津家のお殿様のようだ。1411年に鹿児島に帰り家督を継いだとある。8年くらい穆佐(ムカサ)にいたようだ。

「再び日向入り」し1425年に亡くなっているとのこと。いつ日向に戻ってきたのかなぁとネットのみで調べてみた。尚古集成館の8代島津久豊ページには、1422年に総州家の勢力を肥前に追い一掃したとある。一掃して、9代に譲って、8年間過ごした懐かしい穆佐でのんびりと余生をと勝手に予想。が、全く違うようだ(汗)

尚古集成館の9代島津忠国ページには、1430年に総州家を島津久豊の子 島津忠国が日向国福島院(宮崎県串間市)で断絶させたとある。てことは、島津久豊と島津忠国親子は総州家を一掃した後も、追いかけ回して日向に入り、病気や怪我などで島津久豊は穆佐城で逝去したというストーリーを小説家ぽく?予想して楽しんだ。情報源はネットなのでご注意を(笑)

ぎゃー 調べてたら、この宮崎市の資料で全く違うことが判明。一時、伊東氏に穆佐城を奪われていて、1424年に穆佐城を取り返したようだ。奪い返した後に、穆佐城にいて、何らかの理由で逝去されたんですね。歴史はちょっとした情報で全く違う方向に進みますな(笑)

所感

1400年代の室町時代とかいっても、私の知識は、足利尊氏が征夷大将軍に初めてなったとか、皇居に楠木正成の像があったなとか、応仁の乱って10年続いてちょっと本が話題になってたなとか、金閣寺がでけたとかしか知らないという・・・お粗末さ。日本史選択の高校生の何割かしか知らないのではなかろうか(汗)

これを機会にほんのり穆佐城周辺の知識を取り入れるたり、室町時代にほんのり注目してみたい今日このごろです。

掲示物の記述でひっそり衝撃だったのは、「遺骨は昭和になり島津氏によって発掘され、鹿児島に葬られています」という記述だった。へー、そういうものなんだと。

あと疑問は、こちらの墓は安政4年(1857年、安政の大獄の3年くらい前なんだね)島津氏によって創建されたものといわれているとのことで、400年くらいの間に遺骨はどこに保管されてたんだろうねーっていう事でした。あっ、悟性寺跡ってあるから、お寺に保管されていたのか(笑)。また、共同墓地の四角の敷地はお寺があったんかな。と勝手に予想するのは史跡巡りの楽しさかも(笑)

googleマップ上の島津久豊の墓

島津久豊の墓の写真一覧

ほんのり入り口から並べていますが、中盤から時系列とか順番じゃありませんので悪しからず。情報は多いほうが良いかなとイマイチな写真もありますので悪しからず。

 

瘞骨塔

日光東照宮で徳川家康が眠っている奥宮へは大行列で断念したが、島津久豊の墓で一番奥に眠っていたであろう場所は瘞骨塔と呼ばれているようだ。階段を登りすぐたどり着いた。瘞骨塔って初めてみた漢字だし意味すらわからなかった、ということで、戻って調べてみました。瘞骨塔(エイコツトウと読むんだって)の「瘞」は http://kanji.jitenon.jp/kanjiu/10409.html によると、音読み「エイ」で、意味は「うめる、うずめる、埋葬する、墓、墳墓」などのようだ。初めてみた漢字だし、瘞骨塔でググってもあまり情報がない世界だ。日本史に触れると、当然のように日本の文化を追求せざるを得なくてワクワクしますな(笑)

干支

その一旦として、史跡眺めていると今回は「安政四年丁巳」と掘られていたりと、干支を昔は当たり前のように利用されている。あと1年弱で元号平成が変わるが、昔は元号ではなく干支が庶民では一般だったとか誰かが言ってた。確かに、古い史跡眺めてると必ず干支が入っている。60年に1回だから特定しやすいし、60年に1回(もしくは倍数)で経済や政治や天変地異を語りやすかったのだろうか!?干支といえば、毎年北尾吉孝氏の年頭所感を楽しみにし始めて触れた世界であり、今後調べてみたい世界でもある。

 

と、事務所や自宅の外に出るといろいろ発見できて楽しいなと改めて感じたヨネでした。高岡温泉が比較的近いので、高岡温泉に行く途中に参拝?して、その後ゆっくり温泉入られたらどうでしょうか!?

それではまた\(^o^)/

周辺情報サイト