元号「令和」によせて
新元号「令和」が発表されて約1週間経ちました。前回、昭和から平成になる時は中学生でした。昭和天皇が崩御されたニュースを碁会所のテレビで見ていたのを覚えてます。平成になっても身の回りの生活は一切変化しなかったので、元号の良し悪しなんて考える機会もありません。
しかし、社会人になってすぐコンピュータシステムの2000年問題に直面したり(これは西暦だが)、建物の築年数や年齢を計算する際に元号でシンプルに計算し辛いですし、合理主義な私は元号不要を唱えていました(心の中でw)。西暦と元号の二重管理で間違いの元ですし、年数計算がし辛いですし、良いことが何も想像できませんでした。
コスト的には、コンピュータシステムを更改する必要があるし、元号の入った領収書や契約書なんか版を作り直さないといけないし、IT関連企業や印刷関連企業が儲かるだけで、日本全体の経済的損失が莫大だからです。(似たような理由で、建築物総量規制すべきと考えてます。)
そんな中、天皇陛下が退位されるにあたり元号が変わるということで、新聞などメディアで元号についての知識を少しだけ増やせる機会になったわけです。天皇陛下が退位され上皇になるのは200年ぶり。今でこそ一世一元ですが、明治時代(慶応から明治)以前は、災害が発生したり、特別なことがあるタイミングで元号が代わっていたことも初めて知りました。
元号の存在によって、経済的負担が莫大ではあるもの、天皇陛下への敬意、時代の節目、日本の方向性(目標)として元号の役割が大きいことを40代にして初めて感じることになりました。日本の方向性に関しては、SMART目標とか言われている現代に、2文字なんて抽象的すぎます。しかし、すべての日本人にマッチした目標なんて決めれないわけで、この抽象的な2文字によって日本人各々の建設的な解釈により、元号変更の経済的負担以上のモチベーションが維持発展する可能性もありそうだとも感じ初めたところです。
「空気を変える」「方向をチューニングする」みたいなイメージだろうか。具体的な目標を設定するとにはあーだこーだいう日本人が湧いてきそうだ、抽象的な2文字であれば、あーだこーだいうのはほんのわずかな一部の異質な方々だけだろう。それで、日本を良い方向に導くならお安いものかもしれない。あながち大災害における元号の変更はありなのかもしれない。結構元号が変わっている時期があるようだが、おそらく元号安売り時代は、空気を変える効果も薄かったのだろう。
日本人と空気についての問題は、いろいろ読書したいと思いつつ月日が経ってしまっている。山本七平の『「空気」の研究」や池田信夫の『「空気」の構造」、また、丸山眞男の著書など読んでみたいものです。
不動産仲介業では商売柄、本人確認で申込書や運転免許書をよく拝見することがあり元号は頻繁に見ています。10年前頃から平成生まれの成人の方からの申込みを頂く度に、「えー、平成生まれで成人なの?平成になって20年も経ったんだなぁ。これから平成生まれのお客様のご契約が増えてくるんだなぁ。」と時日が経つ速さを実感したものです。いよいよ令和元年がスタートしようとしています。令和生まれの成人の契約がまたいつの日がくるようですね。
令和の時代が次の元号の礎となるような時代になることを期待しています。
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